Column

徒然なるままに10年後の未来について真剣に考えてみた。

論理も何もなく、取り敢えず思いついた事、考えた事を発散するのが今回です。

今日は新潟県三条市の実家にいます。

相変わらず実家時がゆっくり流れています。おばあちゃんはまた少し弱弱しくなり、父親は相変わらず難聴です。

少しの変化はあれど、それでも基本的には昔のままです。

あまりにも変化の小さく時がとまりかけている実家にいると、なぜか逆にこの先の未来ってどうなるだろう?と考え出し、思わずブログを書き始めました。

10年後の日本とかを考えると広すぎるので、僕を一つの軸に考えていようと思います。
10年後、僕は40歳前後の年齢になっています。

あり得る未来の一つは、サラリーマンです。でも、そもそもサラリーマンってあるんだろうか?
2000年~2010年、2010年~2020年の間にITを中心とした大きな変化はありましたが、サラリーマンは残りました。
2020年~2030年にかけてもITの変化は続くと思いますが、これまで以上の速度かと言えば、恐らく違うと思います。

VRがもう少し進化するとか、宇宙旅行がもっと盛んになるとか、義手義足が発展して身体にICチップを埋め込むとかはありそうですね。
でも、スマホを超える体験、破壊はもうしばらく出てこないと思います。攻殻機動隊のようにいわゆる電脳。ネット空間がリアルそっくりになる事が技術的に可能になるかもしれませんが、人間の側が追い付かないと思います。

『スマホ脳』という本を読めば分かりますが、現時点での技術でさえ人間本来の生活様式(あえて言いますが)からすればオーバーテクノロジーです。

一日中携帯やスマホ、PCと繋がった生活に適応できるほど人類は進化していません。ニュータイプは存在しないのです。
その証拠に、zoom飲みは一瞬で消えました。そこから映像をなくしたclubhouseも一瞬でした。

リモートワーク自体は生産性を上げた気もします。
一方で、職場の悩みや問題の大半はコミュニケーションなのに、そのコミュニケーションが煩雑で、難しいものになりました。

とかく、人間の体は今のデジタル技術にさえ適応しきる事ができません。というか、流行りの言葉を使えば、一時的に対応はしているけど、人間にとって今のデジタル技術がサスティナブルではないと思うのです。

ま、科学のお陰で平均寿命は延びているんですけどね。一方でアメリカのホワイトカラー/中間層は自殺率が上がってたりしますけど。

大きく脱線しましたが、デジタル技術が過去10年にかけて与えたインパクト以上のものをもたらす可能性は極めて低いと見ています。

IT以上に社会に対しドラスティックな変化を与えるのは、戦争かコロナぐらいです。となると、サラリーマンは恐らく残る。

それでいけば、今僕が在籍しているメガベンチャーが10年後も続いていれば、会社は従業員数千人規模。そして、僕は上級管理職あたりにはいると思います。株価も今の5倍?くらいにはなっていて、ストックオプションで得た資産と持ち株会で、まぁスポーツカーぐらい買える資産はもっていそうですね。

ただ、サラリーマンのあり方ってどうなってるんですかね?
副業解禁が更に進んで、会社というよりもプロジェクトの集合体になっているかもしれません。副業もブームで終わりそうとはいえ、雇用の流動性はもっと高まると思います。

できる人に安く発注する。今は特別な仕事がどんどんメジャー化しけば、自分が提供できるメリットや価値は相対的に薄まります。

ちょっと視点を日本という国に置いてみると、10年後はシナリオ通りでいけば地方の過疎化が更に進んで、人口が都市部に集中しだします。日本国のリソースを一定のところに集中させる形になります。青森、秋田、岩手あたりはまとめて一つの県になるかもしれません。
そして、東京の一極集中も進み更に発展していることでしょう。

リモートワークの浸透で、もっと働く場所を選ばないとか、ワーケーションだ、リゾートマンション移住だとかはあると思いますが、結局お金は東京に集まります。

地方には仕事が本当にないです。たまに帰省したりすると、みんな一体どこでお金を稼いでいるんだ?と不思議に思います。

リモートでもなんでも、結局は東京から仕事もお金も振り込まれます。都市圏依存の構図は変わりませんし、たとえ地方移住者が増えたところで、減少幅を補うほどのインパクトはありません。

ただのリソース分散でしかないので、僕が総理だったら非効率だから地方とかに住むな!って言います。下手に地方とか田舎に住まれても、税収は伸びず、インフラや維持コストがかかるだけです。

海外との関わりはどうでしょうか。日本語と独特のカルチャーは恐らく残るので、日本が海外に荒らされることはなさそうですが、国内の競争は更に増していきそうですよね。

なんというか、サラリーマンは残るけどかなり競争が過激だと思います。リクシルが今でさえ40歳の人に早期退職を迫っています。スキルや経験がある人がいても、若くて新しい労働力を入れて血液を入れ替える。

足りない分は一部の優秀層と外部委託で補う。簡単に社員を首にできない社会構造とはいえ、そんなシナリオも見えてきます。

正社員は本当に一部の優秀者だけを残し、不足は同じくらい優秀な個人事業者に頼る。それ以外の人は、非正規雇用で今の正社員がやっているような仕事を更に低い賃金でやらせる。

正社員と呼ばれる人たちのポジションが、プロフェッショナルとそれ以外の2つに分割される。今は非正規雇用が正社員と同じ仕事させられると言いますが、逆です。正社員が非正規雇用と同じ条件になっていくと見ています。

つまり、サラリーマンという者の中に今以上の格差がうまれる。個人事業主のように、一個人として企業や組織と関わる人間が活躍できる。生き残りやすい未来が僕には見えます。

そう考えると、安穏とサラリーマンをやっているわけにはいかないですよね。さっき書いた上級管理職として暮らす、みらいなものは相当ハードルが高くてストレス負荷が高そうです。

おまけに、いくら優秀でも年齢というハードルはこと日本だとかなりの重しになります。
40歳を過ぎると、スキルがあっても雇ってもらえない可能性が格段に上がります。
繰り返しますが、今でさえそうですから況や10年後をやです。

この年齢制限については今後2パターンあると思っていて、仮に40歳をすぎても、スポットでの仕事なら需要がある。または、人口減少から働き手の年齢枠をもっと広げる方向に進み、今は40歳でだめなものが、背に腹はで50歳未満になるという状況です。

人生100年時代といっても、年齢で制限をかけるケースが多い日本ではいずれにしてもちと難易度が高くなりそうですね。

 

ここまではサラリーマンシナリオでしたが、考えれば考えるほどサラリーマンというものが今と同じスタイルで存続すると思えません。

となると、月並みですけどやっぱり自分でビジネスをもつ。起業する方が生存確率が高いような気がするんですね。

または、英語を学んでグローバルマーケットで職や生き方を探すとか。

一番良いのは、両方じゃないでしょうか。サラリーマンやりながら、会社経営もやるハイブリット型です。

この二足のわらじを実現できると、選択肢も豊富で柔軟かつ盤石に思えます。

自分のビジネスがあれば、変化に応じてあり方を変える事ができます。が、会社の仕事は基本的に自分ではなく上から降りてきます。必要なスキル、人材は、会社の方針によって変わります。

自分がニーズが生み出すのではなく、時々の顕在ニーズに応え続けることになるので、変化に弱く、自分の意志も反映できない。その代わり、雇用は強く保証される。

サラリーマンと企業経営する立場の違い、ここにあると思います。

最近は副業リーマンも増えています。本業並みに稼ぐ人もいます。そして、ブームではなく、否が応でもそういった働き方をしないと食っていけなくなると思います。

若いうちはまだいいです。まだ。でも、年をくってくると一つの食い扶持ではハイリスクです。雇ってくれるところがなくなったら、自分で自分を雇うしかありません。

で、それを気づいた時にやっては遅いわけで、なるべく若いうちから準備しておくべきだと思うんです。

何も最新鋭のITじゃなくていいんです。繰り返しですが、ITは飽和状態です。動画が一つの到達点です。次にくるとすれば、視覚と聴覚以外の感性を時間・場所を越えて味わえる体験です。

それも不可能ではないですが、リアルに勝るものはないですし、実現するにはまだ時間がかかります。

では、一体どんな分野で事業を作ればいいのか?

かなりめちゃくちゃな記事になってますが、こっからはこの話に入ります。

今後10年でビジネスを作る上でのヒントは「生」にあると思っています。

「超アナログ」とか「リアル」です。

これがポイントです。

10年後のオリンピックを想像してみてください。

きっと、最新鋭の設備やIT機器により、きっとまるでその場にいるかのような臨場感をどこでも味わうことができるようになります。
サッカーで言えば、ボールの視点で映像が見れたり、選手と同じピッチに立ち、好きな選手のそばにたった映像がみえるかもしれません。

けど考えてみてください。
そんな夢のようなオリンピックですが、一番高いチケットはなんだと思いますか?

それは、会場内で観戦できるチケットです。

今までアリーナ席だったところは、ネット観戦にとって代わります。
そして、今までアリーナ席だったところがゴール裏並みの値段に跳ね上がります。

ネットの体験は複製が可能ですが、生の体験は複製に限りがあるからです。もちろん、暗号技術によってデータの資産化が進むので、「ワールドカップでメッシのそばでプレーが見れる権利」とかが高値で出る場合もあります。

が、それを高値で一つだけ売るよりも、マスに開放した方が圧倒的に儲かります(別にあとからデータ資産にしても良いですし)

そして、生の体験は複製がきかず、受益者も限られます。
もちろん、需要ありきの話ですが、生の体験の希少性はどんどん増していくと思います。

だから、これからの時代、IT領域で先端的な技術をもった人と、超絶アナログの世界を突き詰めた二極化が進むと思います。

もちろん、アナログの結晶を発信したり届けるためにIT技術が転用されると思います。でも、それはあくまでデリバリーの手段に過ぎないと思っていて、本質はアナログな技術とか特技です。

今、既にその流れはあります。

ユーチューブではトレーニング指導や楽曲演奏者など、アナログ技術を売りにした人が沢山います。
もしくは、アナログ技術と何かを掛け合わせた人達です。

例えば、演奏とコスプレとか、ナースと模型製作とか。またはとにかくかっこいい文字、綺麗な文字を書ける人達とか。

で、どちらにも突出しない人たちがサラリーマンや雇用される形で活動するんだと思います。

会社組織に必ずある職種といえば、営業とか総務とかマーケとかですよね。
これらって、アナログとデジタルのはざまを行き交うというか、どちらもかじっていないといけない。

営業職だったら、コミュニケーション能力だけじゃなくてITのスキルや知見も必要になる。でも、結局のところ何でも屋になってしまう。

で、何でも屋になっていくと突出したものが見いだせず、結局部分部分で安い外注だったらい、システムに置き換わってしまう。

営業という仕事はなくならないという人がいるけれど、それは全くその通り。消滅はしない。
けど、営業という仕事が更に分解されたり、それをやる人の地位やポジションというのは組織の中で相対的に低く成ったり、弱くなったりする可能性は高いと思う。

だから、会社組織で生き残る技術を学ぶよりも、IT(研究分野といってもいいかも)か超アナログ領域で一つ自分の柱となる事業なりスキルを産み出した方が、10年後を見据えると生きやすいし、立ち回りもしやすくなっていると思う。

もっといえば、会社組織ではなく、自分で直接企業に売れる何か?または他者に提供してお金をもらえる何かをもっておくべきだと思う。

そしてそれは、今いる会社組織に依存するものではなく、その領域や分野において、他社・他者からお金がもらえるものであるべき。

ここで翻って、僕自身のプランに立ち戻ります笑

10年後、サラリーマンで管理職をやっているシナリオもあるけど、何か事業をやっている可能性もある。

僕が今考えているのは、パーソナルコーチング事業。単なるコーチングではなく、コーチングと何かを掛け合わせた事業をやりたいと考えています。

コロナが理由というわけではなく、デジタル技術やSNSという麻薬につかれた人々は、最終的に自分自身の存在の意味や意義をもっと考えたり、いかに精神的に充実した人生を送りたいか?という世界に入っていくと予想しています。

昨今のキャンプブーム。これって、単にコロナっていうよりも、自分と向き合ったり、忙しさやあわただしさ、デジタルからハナレて、自然の中でありのままの自分でいたい、そんな気持ちの現れだと思う。

とっくに物は溢れていて、安くていい物もやただで暇つぶしできるものも沢山ある。岡田斗司夫さんが言っていたけれど、今の世の中にあふれる無料コンテンツや安価なコンテンツは、アヘンと同じ。

アヘンは安くてハイになれた。お金を払って買う価値があった。今はお金ではなく時間を投じて無料コンテンツから快楽を得ている。

アヘン自体が悪いわけではないけど、行き過ぎると国が崩れる。情報も物もエロでもユーチューブでも、時間さえあればいくらでも享受できる。けど、行き過ぎると人々はおかしくなってしまって、最終的には国がおかしくなるかもしれない。

無限に浴びせられる無料の快楽に飽きた時。または物足りなくなった時、疲れた時、やっぱり人はリアルを求める。

生を実感する、自然や生命を感じる。浴びるのではなく、そこにいるという感覚を感じる。

それに適したものがキャンプだったんだと思う。感染リスクが低いとかではなく、自然や炎に人間が惹き付けられた結果だと思う。

キャンプ以外にも、丁寧な暮らしをしたいとか、ミニマリストみたいに別にお金や物は少なくてもいいから、精神的な豊かさを得たいとか。働く時間を削って、家族といたいとか。

もちろん、物質主義を突き詰める人たちもいると思う。そして、フォロワー市場主義の時代と言いつつも、その世界に疲れ果て、結局自分のもといた場所に戻る人。
支えてくれるはずのフォロワーによって、自分の人生を息苦しいものにしてしまう人たちもいる。

とどのつまり、やっぱり人は、自分自身の安らぎとか、ありのままでいられる環境、状況を求めると思う。自分の存在をリアルに感じられる、考える機会を求めると思う。

一人一人が、自分なりの答えを探すようになるだろうし、加えて大学や国籍、年齢や性別といった垣根がどんどん壊れていく。

そうなった時、一人の人間として自分がどうなりたいのか?

どんな思いをもって日々を過ごすのか、きっと考える人が増える。というか、否が応でも考えさせられる。

それに慣れている人、耐えられる人はまだまだ少ない。学校の教育が生き方を教えるようになるには、まだ何年もかかるから。

そこで、コーチングというもののニーズはもっと高まると思う。
個人的にはそれだけだとビジネスとして面白みが弱いから、日本文化との融合だったり、癒しやリアルな趣味活みたいなものとも絡めた事業を作りたい。

後は、学校の授業の中に必ず盛り込むとかね。ありのままの自分を認め、自分を、友人を、家族を、世界を少しずつよくするために、この命をどう受かっていくか考える。

僕は、そうやって人の可能性を引き出す。本来もっている素敵な姿を引き出すという超絶アナログなフィールドに自分を投じてみたい。

まだまだできていないけれど、人生という貴重な時間を誰もが満喫し、清々しい気持ちで命を全うできる人が一人でもこの世界に増えていければと思う。

かなり脱線しましたが、10年後の未来において、人類は自分の生の意味を今以上の問うていると思います。

競争主義やメリトクラシー、無料の情報や娯楽というアヘンと付き合う生活が限界を迎え、「俺はなんで生まれてきたんだろう?」という問いに対し、世界レベルで人類が向き合っていくと思います。

蛇足ではありますが、間違いなく日本は次の開国を迫られます。日本語に頼った閉じた経済構造や社会構造では、世界レベルの人間の変化に乗り遅れます。

だから、今のうちから英語を通じて世界と接し、次の10年で人々が迎える変化に乗り遅れないようにしていきます。

べらべらと書いた結果7千字近くなりました。

最後まで読んで下さった皆さん、ありがとうございます!